巷談 日本文化論 (次代を背負ふ健児等に捧ぐ)

昭和34年卒 稲葉八朗

最近の開成卒業生の名簿を見ると肉体労働者の大部分はお医者さんで、それ以外はほとんどが頭脳労働者である。
特に最近は 「上級」 国家公務員、いわゆる 「高級」 官僚も増えているようだ。

国としてもその年度の最高の体制的頭脳を選抜したいであろう。
試験は 「建前」 の理解度チェック。
となると、今後も当然受験技術チャンピオンの母校から 「高級官僚」 の出る確率は高くなる。

近代の特質・官僚機構にあって、その中枢たる 「国家官僚」 の多くが母校出身者によって占められることを想像するだけでも胸血高鳴るものがある。

なんにでも 「上級・高級」 を付けるとぐっと迫力が出てくる。
かつての満州で事変を起こした参謀も 「高級参謀」 だったから誰も文句が言えなかった。
が、近年は国家的な平等意識の高まりの中で、上級・高級、一・二等、高・低、という等級差別の呼び方ははやらないようだ。
二等車はグリーン車になり、低開発国も発展途上国になった。
さらに、裏表も平等感を疎外するものとされたようで、裏日本は日本海側になった。

ここまでくると天丼だって黙っちゃいられない。
上天丼、並天丼も梅天丼、松天丼 (店によっては逆) になった。
並 → 安物 → 低所得 (金持ち途上?) の連想による並の差別感を薄めるためだ。
それでもまだ紳士服と官僚は 「高級」 がつかないとなんとなく物足りない感じがする。

テレビの国会中継にでてくる官僚は、奥のほうであたかも黒子のように控えているが、大臣が答弁につまったりすると、するするっと出て来て、さっと大臣に何かを渡したり、代わりに答弁してすっと引っ込む。
あざやかなワンポイントリリーフは 「にわか大臣」 にとっては、なんとも頼もしいものだろう。しかし、その黒子も 「高級」 のイメージがあればこそ、敵に威圧感を与え、味方には安心感をもたらすことができるもので、いくらあらゆる差別をなくす時代の風潮と言っても、天丼に倣って松官僚、竹官僚、梅官僚と名称変更したのではちょっと頼りない感じがする。

国家の集団的訓練(ディシプリン)で、なおいっそうの 「建前」 をしっかりと教育され、栄華の巷ごときには目もくれず、ひたすら国家・中央官庁を支える 「官僚」 の上司・大臣政治家は、たとえ短期間の腰かけ大臣とはいってもただのおじさんではない。
民主主義の大看板。
我等主権者が派遣した実力者。
たとえ細かいことはわからなくても 「浮世」 のなかでみっちりと鍛えられ、短い在任期間のうちに 「峻厳な建前」 を 「加減良く」 おぼえた、人生経験豊富な世情の天才だから、高級とはいうものの育ちのいい官僚にとって、そうは簡単に一筋縄ではいかないだろう。
民主主義とはなんとも余分な手間をかけるやり方である。

組織は人間が作るもの。
中央官庁といえども人間の集まりだろうから、店屋の組織などと似たところもあると思う。
「よきにはからえ」 の旦那大臣なら官僚は安心して思う存分専門官としての能力を発揮できるだろうが、中にはちょっと経験があるばかりに、人に任せることができず、何でも自分でやりたがったり、また妙な意欲を持ったり、細かいとこまで気が付き過ぎてウルサイことを言ったりする職人大臣もいることだろう。
でもそういうのは結局本人が疲れるだけだし、世間の非難を引き受けるのも自分だから、黙ってやらせておくのいいだろうが、時には身命を賭してお諌めするのも直参 「官僚」 の役目だ。

天下国家に燃える官僚だろうだが、気を付けないとだんだん周囲の政治家・実力者に慣らされていく。
なんとなく仲良しにされていく。
情に竿さしゃ流されるが、意地を通せば窮屈な世の中の組織の仕組みがわかってくる。
そうなると、血の巡りが良過ぎたり、その気のあり過ぎる官僚は、栄光の裏方をやめて立候補する。またそれもよし。

しかし、何はともあれ、なんでも言えるいい時代だ。
だから新聞もテレビもコワイとこ以外には言いたい放題だが、いまや日本は世界一の金持ち国。
だから政治家も (もちろんその黒子も) 何を言われようと、 「このやり方が世界一」 と自信に満ち満ちている。

実際のところ、戦後育ちの我々も、日本がこんな超金持ち国になって、世界中から羨ましがられるようになったなんて、とても信じられない。
進駐軍のチョコレートの紙だって大事にとっておいて、においをかいでた子供の頃や、ついこのあいだの “渡辺のジュースのもと” の感激はいまだに新鮮である。
家で簡単に映画が見られるようになったり、自家用車まで持てるようになったなんて今でも嘘のようだ。
ホントに信じられない・・・

だけど外人はもっと信じられないだろう。
キリスト教 (特にプロテスタント) でなければ、近代国家は出来ないと信じていたのが、「鰯の頭」 を拝んでいる国にやられちゃったんだから。

金持ち国が近代国家とイコールかどうかは分からないが、物のない国が、技術力だけで世界一になったんだから、一応、近代化された国と言ったってどこも文句も言えまい。
わが先人「種保存」 の象徴・天皇家の万世一系も完璧に護持しながら、「建前」 と 「良い加減」 を絶妙に使い分けて、マルクス教祖の目指した以上の一億中流・超平等社会も実現した。そのうえついには、世界一の金持ち国にしてしまった。

勤勉は日本の伝統のようだが、キリスト教国だって修道院以来の禁欲生活と共に 「働かざるもの食うべからず」 で鍛えられてきた伝統をもつ。
しかも、真面目に熱烈に信仰しながら・・・

ところが外人から見れば相手は 「鰯の頭」 をはじめ、何を教えてくれてるんだかわからないが、とにかくあっちにもこっちにもある神様 (八百万も!)、そして御先祖様に仏様、そのうえ自分達のキリストまで拝んでしまうという、得体の知れない人種だ。
だけど、とにかくそういう連中が世界一の暮らしをしているということはなんとも理解できないことだろう。
もっとも我々だって何だかわからないが 「何でもいいから、とにかく拝んでおけばまちがいない」 と言われた通りにしてきただけなんだが・・・・

お宮参りにつれてった子供を、クリスチャンの幼稚園に通わせ、高校では論語。
天神様にもちょっと立ち寄り、大学ではマルクス教。
そしてクリスマスにドンチャン騒ぎをやったあとの初詣では、帝釈様に柏手を打ったりしながら、日本は世界一の金持ちになった。

ちょっと教わりゃすぐにおぼえて世界一のモノを作ってしまう。
中国で青銅器から鉄器になるのに七百年もかかったのを、こっちは両方いっぺんに良いとこだけ取ってわずか二百年で、それ以上のモノを作ってしまったそうだ。
モノが世界一だから売れるのも世界一。
応用技術が上手かったのは、古代からだったんだから、よそで今更何を言おうとどうしようもない。

神代の時代から連面と続いた 「勤勉教」 と 「良い加減多神教」 は止揚することなく、また外来の幾多の教義を、加減良く、吸収合併しつつ今日にいたり、ついにわれわれに 「拝金唯一神」 の絶大な御利益をくださったのである。

いくらあっても邪魔にならないお金は、物々交換国以外ではなかなか便利なもの。だから日本中が安心してますます 「拝金唯一神」 を信心する。
(そのかわり戒律も厳しい。感謝も謝罪も誠意も、すべてが金額で評価される。そして実用道具も、機能よりなにより、まず高価なものを買わなければ信仰の深さを認めてもらえない)

外人も、なんとかこの絶大な御利益のある 「良い加減多神教」 を理解しようと、初詣に行ったり、お神輿をかついだり、坐禅を組んだりしてみるようだが、この 「良い加減」 だけはわからないだろう。
聖書では教えてくれなかったし、またいくらZENを勉強しても、お経を読んでも、祝詞を聞いても、こっちだってわからないんだから、外人じゃまず無理だ。
一方の外国・マルクス教祖の共産主義 「帝国」 はついにその絶対唯一神の御神体を放りだしてしまった。

そうしたなかで、世界一の金持ち国・職人資本主義・日本は気前のいいバラマキで、世界中でモテモテである。
にわか成金にはタカリも多いだろうが 「こちとらは世界一の金持ちだ。アイヨ、アイヨ」 と太っ腹だ。

あまり旦那役をやりつけないのが、いきなり旦那になると、金の使いかたがなんとなくアカヌケないがそんなことは気にしない。
品物では到底かなわないかつての近代工業国家は、もはや身を売るか、農作物を売るしかない。そのうえ、最近日本の金融業界は工学部出身者までごっそりとかき集めて組織を強化し、いよいよ国際金融の鉄火場の胴元もやり続けていこうという勢いである。

真面目な職人なので下請け仕事を回してやったら、熱心に仕事をおぼえ懐もよくなった。
仲間に入れて、ちょっと教えてやったら、点の数え方もわからなかった下手がいつのまにやら上手くなって満貫を連発してぶっちぎり。ゴミ手だって絶対に見逃さないでしっかり上がる。
教えたほうはハコテンで借りっぱなし。
職人がモノを作る楽しさより、金利稼ぎのほうが面白くなるのは、ちょっと心配だが、仕事は仕事で道具箱もお得意さんも放さないようだ。
どうにも手がつけられない。

くやしいけど、どうやっていいかわからない。
戦前もあまり生意気だったので一発かましてやったら、すこしの間はおとなしくしていたが、今はそんなことをさらりと忘れて、またもくやしい思いをさせられる。
アメリカが教えた 「地面に穴を掘らせて、また埋めさせる失業対策のやりかた」 も、今の日本の役所は先生のアメリカ以上に実績を上げているようで、なんの苦情もでない。
どんな政府になろうと国内は 「加減良く」 安定している。

先進国のヤッカミは職人金融資本主義・日本へ集中する。
かつての旦那・アメリカもヤッカム側にまわった。
もう一方の代貸し (ソ連) も落ち目。
落ち目同士が手を組んで策を練っている。
「さて、どこから手を打つか」

「資本主義は一番資源を浪費する制度。そこへもってきてむこうはモノを作るのが大好き。だけど、いくら『金さえありゃ何でも買える』と言ったって、モノが無くなって、材料仕入れができなくなりゃ、どうしようもないはずだ」
「肉を食ってる我々が、そばなんかを食ってる日本の実力者に負けるはずがないんだが」
「それだ! いい手がある!」

・・・・・まず「世界中の資源木材のほとんどは、日本が使っている。地球の資源はなくなる。日本は地球の大気を破壊する」という 「空気」 をつくる。
日本人は「空気」に弱い。
「空気」 に逆らうと村八分にあう。
農耕民族の一番怖いのが仲間からはずされる村八分だ。

まだまだ紙と木が幅を利かせている日本では、資源浪費・自然破壊・大気汚染のイチャモンはマスコミ・テレビを使えば、あっという間に日本中に伝わる。
そうなった時、まず最初に目をつけられるのは年度末の役所の慣例事業 「道路の掘り返し」 ではなく 「割り箸」 なのである。
日本で木材と言えばまず「割り箸」に目がいくはずである。

実力者はまず体が大事。
体を大事にする人はそばが好き。
そばといえばSOBA SOUND (ツルツルッとそばを食う音) を発生させる 「割り箸」。
ところが 「割り箸」 を使う奴は自然破壊者。
そしてついに、そばを食う奴は非国民。

非国民どころではない。そばを食ったら地球が滅亡する 「空気」 が日本中をおおう。
日本人は 「空気」 に従う。
みんながそば屋を白い目で見はじめる。
そばやは廃業。
そばが食えなくなり、神代から続いた勤勉の精神も、日本人のアイデンティティーもすべてを無くした日本の実力者は急速に力を失う。
そうなればあとはハンバーガーで慣らした若手だ。なんとかなる・・・・。

こんなことにならないよう、そして 「日本文化の華・そば屋の割り箸」 が消えたりしないよう、次代を背負う健児諸君 (官民を問わず) しっかり頼むぜ。
  1990.2.11
   関やど(そばや)店主
参考
開成学園校歌 2番

黎明日本の夢破り 
文化の教え開きたる
わが先人を思ふとき
次代を背負う健児等が
胸血高鳴り 激つなり